積み木の家は何度だって積みなおせるということ
こんにちは!しらボーです。
いなふりも始まって2週間が過ぎ、あんなに待ち望んでいたこといなふりも折り返し地点を通過した。
いなふり中はこれまでにないくらい自分の将来に真剣に向き合うことが多い。
この先はどうしよう。どんなことをしよう。こんなことは出来るだろうか、あーだこーだ。
いなふりの僕以外の同期もみな、同じように悩み、もがいているように見える。
ここにいる誰もが、何かを変えたくて、何かから逃げたくて、何かを抱えて、2週間前までの当たり前の日常から勇気を出してここに来た人たちで。
周りの同級生とはズレた選択。親には理解してもらえないフリーランスの世界。お金もかかる。
計画的にいなふりを選んで準備ができた人ばかりではなく、どうにかこうにか流れ着いたような人もいるだろう。
僕も例外ではなくその一人。夢に挫折し、どうしていいか分からなくなり憧れて入った会社では皆がみんな好きでやっているわけではないと知る。
まっすぐな小学生には通らないような理不尽なことが腐るほど溢れている。
生き方や働き方、他人との関わり方まで誰が正しくてで何が正解なのか分からなくなる。
どうにか「俺はこんな生き方がしたい!」と覚悟をしても将来に不安を抱くことはあって、簡単にブレてしまうことなんてザラで。
そんなことを考えて、いなふりを過ごすことが増えてきた昨日、帰宅したシェアハウスで一緒に生活をするいなふり生が僕が寝る前に話しかけてきた。
僕は22歳。彼は20歳。15万円(たしか)ほどもするサイト制作の仕事を貰って日々作業に取り組んでいる。
シンプルに自分はサイト制作など出来るスキルは今は持ちあわせていないし、できるならやりたい。
第一、個人で15万円の仕事を20歳で受注すること自体すごいと思う。僕にはできないからなおさらそう思う。
20歳でこのいなふりという環境に身を置くという発想を持つこともそう、ここに来れるだけの資金があることもそう。
よく他人と比べるなという話を聞く。
ただ、それは現実なかなか簡単に出来ることじゃない。特に同じスタートラインでよーいドンをするような環境ならなお難しい。
少し、話をずらせば、僕はこの、人と比べるという行為にめちゃくちゃ苦しんできた人間。
負けづ嫌いといえば聞こえはいいけど、当の本人からしたら外野から見る以上にその負荷が与えるストレスや自己否定感は深刻だったりする。
いなふりの日々の膨大な情報量のインプットと個人が抱えている問題。
これまでにないこうした環境に、僕は急に落ち込んだり不安になったり、とにかく自分との対話を必要に迫られて嫌になるときもある。
一旦ここで話を戻す。僕と彼のはなし。
彼は余程、話がしたかったんだと思う。思考の整理がしたかったのかもしれない。
12時過ぎにもう寝るよーと1番に2階の部屋にあがった僕のベッド脇に来てしゃべりかけてくるのだから。
それでも僕は「こっちは寝たいわ!!」とは言わなかった。
寝たいと分かっている相手にでも話を聞いてほしいと思う彼の気持ちがよくわかるからだ。
初めはくだらない他愛もない話だった。
対していなふりでの普段の生活はSEOだライティングスキルだ、クライアントに提案だーと、
自分がやりたいことやなりたいものに対して不確定要素が多いことも多く、うまくいかないストレスや自分と日々戦っている。
そうすると高校生みたいなくだらない時間がめちゃくちゃ楽しかったり、必要な時間だったりする。
話は進み、家族の話になった。どんな経緯でここにきたのか。どんな親か。兄弟は?
そんなことを話していると、彼がボソッと
「自分の家がここに1つ増えたみたいだ」
と言った。
途端に重いというかとってもエモい、エモすぎる言葉を口にした。ただ、その言葉に僕はめっちゃ共感した。
もっと言えばなぜか、彼がそう思っていることが自分ごとのように嬉しかった。
それからはお互いにはなしを膨らませながら眠りについた。(すでに3時俺はもうただ限界だった。)
そして今日、まーだそれが頭に残ってる。あの時感じたうれしさもちゃんといる。
きっとこの考えを必要とするだれかがこの世の中にいる、そう思った。
だって、俺が尊敬する彼も俺もそう思ったんだから。
『何があっても戻ってきていい居場所を作る』
僕がその夜、彼に話したこと。最近は良くこの言葉を目にする機会が何故か多かった。
思い返せばこの半年間近くずっとこの言葉を自分に必要としていた。
あなたも僕も彼も、何かに挑戦したい時、不安になることは何だろうか?
僕は「今ある何かを失うこと」だと思う。
今あるお金。友達。ポジション。親との関係。変わるかもしれない周囲の目。
気付くだろうか?これらどれもが人間関係に関わっている。
お金?と思った人もいるかもしれないけど、結局お金だって、自分と相手がいなければ必要ない。
つまり、今変わりたくても変われないという人は、今自分が置かれている環境にあるたくさんの要素が変わってしまうこと、失ってしまうことを怖がっているということになる。
それは、しつこいようだけど、僕も、あなたも、彼もきっと同じ。
その要素の数が人それぞれ違うことはあってもその本質は変わらないと思う。
時々、まったくそんなことは何も気にしていない鉄のメンタルを持ったやつみたいに見える人がいるけど、そんな人は絶対にいない。
いたとしたらそいつはきっとサイコパスか犯罪者予備軍だ。
そう見えているその人はきっと上手に誰かに頼れないだけ。
逆に言えば、「分からない!分からない!」「怖いよ!助けてよ!」と叫べる人の方が僕は強いと思う。
だからこそ眠そうにしている強面の僕をなんのためらいもなく起こしてくる彼が僕は素敵だと思うし、強いんだろうと思った。
悩んでいるから弱い、迷っているから悪い、自信がないからダサいんなんてことは決してなくて。
むしろ、そこに真剣に向き合えている人はめちゃくちゃにかっこいい。
ドラゴンボールの悟空がサイヤ人に変身するときに怒りに我を忘れて、
苦しそうに全身を震わせながら大声で気を溜めて、黄金の光をぶっ放してひたすらに輝いている姿。
俺には悟空のみんなが生きていればいつ襲ってくるかわからない敵に対して、いつでも戦える臨戦態勢に入っているようにしか見えない。
エモーショナルな夜の一幕からサイヤ人にまで話を広げてしまった文才の無さを痛感しながらも強引にまとめに入ろうと思う。
何があっても戻ってきていい居場所を作る
今回伝えたかったことはこれだけ。悟空じゃない。
これを読んでいる、何かに挑戦したいあなたに。
今あなたがいるそこから動き出せば
これまで積み木のように必死に積み上げてきたあなたのお城はガラガラと崩れるかもしれない。
けれど、勘違いしてはいけないことがある。あなたは積み木のお城ではなく、そのお城を作った人なのだ。
ひとつお城がつぶれたら、また小さい家から作りなおせばいい。
急造でいい。
完璧じゃなくていい。少しくらい雨が入ってきてもいいじゃない。
あなたが家を建てたい場所でやりたいことをやってみよう。
きっとそこに同じやりたいことを持った人がまたあなたの近くで積み木を積み始める。
そしたらあなたはそれをすかさず手伝ってあげよう。
一緒に頑張ってみよう。
そしたらあなたの家と仲間の家が二つできる。
そしてまたあなたが新しいことに挑戦した時、家はまた崩れてしまうかもしれない。
でも、もう大丈夫。
隣の仲間の家に1ヶ月でも1年でも泊めてもらおう。
大事なことは、
挑戦してもいいんだと思える環境は、挑戦してからいくらでも作れるということ。
僕や彼の居場所がいなふりにできたように。
だから準備ができていないことを怖がる必要はこれっぽちもない。
そもそも万全な準備なんて誰も知らないんだから。
何があっても戻ってこれる居場所は必ず作れるよ。
だからもう眠そうな俺を起こすな。